むりしない農家(仮)のブログ

無理をしないことに決めた農家(仮)のブログです。

歯車上等の精神

こんばんは!むりしない農家です。

 

春眠暁を覚えずという言葉を体で感じている今日この頃です。毎日睡魔との戦いに勝てずブログを書くところまでたどり着けませんでした。

剪定の片づけにもめどが立ち、久々に予定が詰まっていない土日だったので好きなだけ寝ました。最高の贅沢です。生来のニート力をいかんなく発揮し、今日は一歩も外に出ていません。

 

りんご栽培に限らず、農作業、というか仕事全般には、「誰にでもできる仕事」と「この人にしかできない仕事」が存在すると思います。

最近の私が主にやっている仕事は前者の割合が圧倒的に多いです。そもそも私しか持っていないスキルがほとんどないので、そりゃそうですよね。

一見すると、「この人にしかできない仕事」はすごくかっこよく見えます。憧れます。職人気質の強い環境ではなおのことそれがもてはやされているイメージがあります。

ただ、こと組織で仕事をするとなったときに、その属人的な仕事が多くを占めていた場合、組織の意味がなくなってしまうんじゃないかと考えています。

 

個人で仕事をしていたら、その人一人が倒れればもちろん仕事はすべて止まります。

組織で仕事をする利点のひとつは、一人が倒れても他の誰かがフォローすれば仕事を止めずにすむところにあると思います。バックアップが数か所にとられているみたいな感じです。

属人性の高い仕事が増えてくると、このフォローがどんどん難しくなります。そうなると組織としてはもろくなってしまうんじゃないでしょうか。

 

だから誰にでもできる属人性の低い仕事が多いということは、実はすごいことなんじゃないかと思うこともあります。それだけ作業の全容がわかりやすく、無駄の少ないマニュアルができているということですよね。

そのマニュアルを作るのがまた誰にでもできることじゃない、という入れ子構造みたいになってるんですけど。

 

「組織の歯車」という使い古された表現がありますが、私はけっこう歯車でいるのも嫌いではないです。どういうふうにかみ合って、最終どういう仕事をする機関なのかわかっていれば、わりと歯車まわすのたのし~(脳死)ってなれます。

それと、誰にでもできる仕事だって、「誰か」として自分が必要とされるなら、十分社会のどこかに属したい欲求は満たされるような気がしています。誰でもいいけど私に声をかけてくれたなら、私としては頑張りますよという気持ちです。

 

裏を返せば、誰にでもできる仕事を作って、それを誰でもないあなたにしてほしいんだよと伝えることが大事な局面は出てくるのかなと思います。もし人に仕事をお願いできる立場になったら、そこは忘れずにいたいです。いつになるかわからないですけど。

 

最高の休日でやることもやったので、あとはお酒を飲んで漫画を読もうと思います。それではおやすみなさい!