こんばんは!むりしない農家です。
正式に入社して2週間が経ち、ようやく地に足がついてきた感じがします。
青森の暮らしにも雪道にもだんだん慣れてきました。引っ越してからは1か月以上になるので当然っちゃ当然なんですけど。
私はわりと適応能力がある方だと思っています。
適応能力というのは、自分の中の常識を書き換える力みたいなものじゃないでしょうか。
住む場所や職場環境など周囲に変化があると、多かれ少なかれ今まで自分がインストールしていた常識とのギャップを感じることになります。「晴れた日の明るいうちは働いて、雨の日は休み」みたいな働き方が常識だった人が、「週5日、1日8時間働く。天気は関係ない」という環境に放り出されたら今までとは違うなとなるはずです。
このギャップが、私の言う「無理」の定義に近いのかもしれません。これまでやってきた自分のやり方や考え方を維持しようとして、現実と摩擦が起こっている状態です。この場合、無理をしない方法には2通りあります。
自分の従来の常識に現実を合わせるか、現実に自分の常識を合わせるかです。
ただ基本的に外部環境は自分じゃ変えられないとすると、残るのは自分の常識を書き換えるという方法だけになります。
つまり、無理だと思う行為をしないのではなく、無理だと思う原因を解決して行為できるようにするということです。
「その行為をなぜ無理だと思うのか」を徹底的に分解して、クリティカル無理ポイントを導き出し、そこを解決すれば行為を無理だとは思わなくなるはずです。
むりしない農家という自称には、むりだなあ諦めよう、という後ろ向きな意味よりも、本当にむりなのか?むりしなくてもできる方法はあるんじゃないか?と前向きに検討していく意味合いの方が強く込められているかもしれないと最近思うようになりました。
冒頭に戻ると、私は自分の持っている常識をだいぶ軽視しています。自分がそんなにまともな人間ではないと自覚しているからです。なんなら社会人の常識なんて皆無です。
でも自分のことがかわいくないわけではないので、なるべく自分が生きやすい環境を用意してやりたいとも思っています。常識を書き換えるくらいで快適に過ごせるなら絶対そっちの方がいいじゃん、くらいのノリです。
だから住む場所が変わっても人間関係が変化しても、自分の過ごしやすい形に自分をぐにゃぐにゃ変えていくことにはあまり抵抗がありません。それを聞こえのいい言葉にすると適応能力があるってことなのかなあと考えてました。
すごい自己PR文みたいなことを書いてしまった。ブログなので自分語りも許してください。それではおやすみなさい!