むりしない農家(仮)のブログ

無理をしないことに決めた農家(仮)のブログです。

もしもニートがドラッカーのマネジメントを読んだら【第5章】

こんばんは!むりしないニートです。あと214日で農家になります。

 

今日はドラッカー感想文第5章です。前回まではPart1「マネジメントの使命」について見てきました。マネジメントって何をしなきゃいけないの?という疑問にドラッカー先生はいろいろ答えてくださいました。

ここからはPart2「マネジメントの方法」です。

マネジメントのやるべきことはわかった、じゃあどうやってやる?って話ですね。

その中でも今回のメインはマネジメントする人、マネジャーです。早速いきましょう。

 

第5章 マネジャー

マネジャーとは何か。

野球部のマネージャーでないことは何となくわかってるけど、改まって説明はできません。やはり定義から知りたいですよね。

「マネジャーとは」について、いろいろな記述があります。

マネジャーを見分ける基準は命令する権限ではない。貢献する責任である。

専門家が自らのアウトプットを他の人間の仕事と統合するうえで頼りにすべき者がマネジャーである。

マネジャーは育つべきものであって、生まれつきのものではない。

いろいろ言われています。のわりには、マネジャー=これ!という決定打はないような気がします。

それもそのはず。ドラッカー先生にも誰にも、マネジメントの真の定義は今となってはわからなくなっているようです。誰がマネジャーなのかを明らかにすることが緊急の課題だとか。

かつては「人の仕事に責任を持つ者」がマネジャーとされていました。でも、今日では責任を持たないマネジャーだっているし、マネジャーじゃない専門家も責任を持つときはあります。

 

そんなわけで、バチッとした定義が掲げられない代わりに、マネジャーと専門家の違いやマネジャーの役割、必要な資質などの様々な側面から「マネジャーって何?」に近づく手がかりを示してくれます。

 

50人の部下を持つ市場調査担当マネジャーと、1人の部下も持たずに同じ仕事をする市場調査専門家との違いは、機能でも貢献でもなく、手段にある。両者に要求されるものは同じである。彼らはいずれもマネジメントに属する。

どうやら求められる成果によってマネジャーかそうでないかが決まるわけではなさそうです。50人の部下と一緒にやるとき、人はマネジャーにならなくてはいけない。マネジャーには人を管理する要素がありそうですね。

 

マネジャーには、2つの役割がある。

①第一の役割は、部分の和よりも大きな全体、すなわち投入した資源の総和よりも大きなものを生み出す生産体を創造することである。(中略)

②第二の役割は、そのあらゆる決定と行動において、ただちに必要とされているものと遠い将来に必要とされるものを調和させていくことである。

相乗効果と調和、いってみればマリアージュみたいなことでしょうか。単なるバランサーに留まらず、「創造する」と述べられているところがミソかなと思いました。よく言われる足し算ではなく掛け算にする、というのを最大限に実現するのがマネジャーの役割なのではないてしょうか。

 

調和とか言われると、なんだかマネジャーってほんわかした人とか愛される人が向いてんのかな?自分不器用だし人と関わるの苦手だから一生マネジャーとかできねえわ、解散、と思った皆さん。早まらないでください。

うまくいっている組織には、そんなに助けたり人づきあいが得意だったりするマネジャーばかりなわけでもないそうです。

マネジャーにできなければならないことは、そのほとんどが教わらなくとも学ぶことができる。しかし、学ぶことのできない資質、後天的に獲得することのできない資質、始めから身につけていなければならない資質が一つだけある。才能ではない。真摯さである。

生まれつきのものではないマネジャーに、唯一元から備わっていなきゃならないもの、それが真摯さです。真摯さについては、この後も何度か話題にあがってきます。

どんなに調子のいいことを言っても有能でも、真摯でない者はマネジャー失格。それをドラッカーは熱く伝えたかったようです。

 

人が集まるところで、良いものと良いものをかけ合わせてもっと良くする人。なおかつ真摯。

つまり真摯なDJ、それがマネジャーなのかもしれません。知らんけど。

 

マネジャーとは少し逸れますが、この章で好きだな〜と思ったのがこちらの言葉です。

まちがいや失敗をしない者を信用してはならないということである。それは、見せかけか、無難なこと、下らないことにしか手をつけない者である。(中略)

人は、優れているほど多くのまちがいをおかす。優れているほど新しいことを試みる。

ミスをしないことはいいことだと、どこかで信じてやってきました。ミスを嫌って避けてきました。ミスってる奴はダサく見えるから。そんな人も少なくないと思います。

でもここでは、失敗してない奴の方がダサいだろと言われています。ミスらない程度のことしかしてないんだろと。失敗のダサさに対するコペルニクス的転回が起こったと言っても過言ではありません。

この章では目標設定についても語られているんですが、だから失敗なんか当たり前だよ高い目標を設定していけというメッセージも込められています。

 

めちゃくちゃ凡人に優しいドラッカー先生。好きです。

好きだなって思った人は私と同担なので同担拒否じゃなければ明日も読んでください。それではおやすみなさい!