むりしない農家(仮)のブログ

無理をしないことに決めた農家(仮)のブログです。

むりしないニートは完璧主義者なのか?

こんばんは!むりしないニートです。あと249日で農家になります。

U.N.オーエンは彼女なのか?を意識したタイトル。

 

私はめんどくさがりです。

どのくらいめんどくさがりかというと、5年くらい前から買い替えようと思っているWALKMANをまだ使っているくらいです。

物持ちがいいとかではなく、面倒なんです。新しい機械を買って操作を覚えたり、そこに今まであった音楽を移行させたりするのがとてつもなく面倒なんです。なんなら今の機能と遜色ない機種を選ぶための情報収集すら腰が重いです。

そもそもWALKMANまだ使ってる奴いるのかよとか、めんどくささの例示に適さない事例だとかのツッコミどころは今回の本分ではないので目をつぶってください。

 

これは今に始まったことではなく、よく子どもの頃から親に「めんどくさいって言わない!」との注意を受けていました。

たとえ言わなくても感じることは止められません。どうしてこんなに面倒に感じてしまうんだろう、と考えたら一つの仮説に行きつきました。

めんどくさがりは完璧主義者に近い、むしろめんどくさがりは完璧主義者を内包しているのかもしれない、というものです。

 

WALKMANの例で言えば、今ある曲のデータやプレイリスト、操作性や機能などの快適さを完璧に維持したまま新しい機器に移行せねばならぬと考えているから、移行のハードルがどんどん上がっているんじゃないかと思いました。

言ってみれば、これから取り掛かろうとする作業を、頭の中でわざわざ面倒な仕様にしているんです。しかも無意識に。

 

自己啓発本なんかで「考える前にとにかく動け」みたいなことが口を酸っぱくして提唱されているのはそういうことなんでしょうか。動かないで考えていると、どんどん今からやることがとんでもなく重大なことのような気がしてきて、そんな重大なことは半端な気持ちじゃできないな、今はやめとこう、っていうサイクルで雪だるま式にフットワークが重くなっていく。

とある界隈では「出ない神本より出るクソ本」という名言もあります。おそらく類義語でしょう。

 

一回目から完璧にやろうとするから、一回目がとてつもなく億劫に感じるのかもねというのが今日の結論でした。

だから風呂に入るのがどうしても面倒なときは、風呂のことはなるべく考えないように努めて準備をしようと思います。

 

令和五年でもWALKMAN愛用してる人は心の友なのでまた読んでください。それではおやすみなさい!