むりしない農家(仮)のブログ

無理をしないことに決めた農家(仮)のブログです。

むりしないニートの誇示

こんばんは!むりしないニートです。あと197日で農家になります。

 

アピールの強い人に思うところがあります。

自分頑張ったよアピールをしている人を見ると、おっアピールしてんな〜アピールちゃんだな〜と思います。性格があまり良くないので。

だけどそれに気がついて気にしちゃうのは、きっと私の中にもアピールちゃんがいて、いるのに外に出せていないから羨ましくて目についちゃうんでしょうね。

 

アピールせずに「頑張ってるね」と言われる、これが最高の形です。すべてのアピールちゃん達が求めているかたちですね。

アピールせず、頑張に対するコメントももらえない。これは私によくあるパターンです。こちらに関しては自己肯定感が高い場合は何の問題も生じないのですが、自己肯定感の低さを他人の承認によって補おうとしている場合地獄です。ほしい物リストに何も書いてないくせに、なんで誰もほしい物くれないの!?と怒り狂っている状態になります。怖いですね。

アピールをして「頑張ってるね」をもらう、これが今回冒頭からお話している人のことです。一見ダルいんですが、前者のパターンよりはほしいものをほしいと素直に表現できている分拗らせ度が低そうに見えます。というか人間の基本的能力は高いです。得たいものを得るために努めているんですから。

アピールしたにもかかわらず、「頑張ってるね」がもらえない。最も悲しく恐ろしいパターンです。結局これを警戒してアピールができないんです。欲しいとねだったのに手に入らない、声をあげたのに誰にも気に留めてもらえない、かわいそうな人。そんなレッテルを貼られることが何よりも怖いと思っているんです。

 

ただし、よく考えてみれば4つめの最も悲しいパターンでも、悲しい思いをするのは自分だけなんですよね。誰にも迷惑はかけないし傷つけたりもしない。ただ自分が寂しいだけ。

一方で、同じくアピールをする選択肢をとってたまたま「頑張ってるね」がもらえた方では、「頑張ってるね」を与えた人も「いいことしてやったな、おもてなししてあげたな」という少しの満足感が生まれるはずです。

アピールせずに「頑張ってるね」をもらったパターンはどうでしょう。相手は心から「頑張ってるね」と言ってくれたはずです。すごくいいことです。でも、いいとこしたなの満足感は先ほどのパターンより弱いんじゃないでしょうか。

つまり、一見するとダルくてダサい俺頑張ってます褒めてくださいアピールも、社会全体の満足感の総量から言えば最大になる、すなわち最適の選択なのかもしれません。

 

だから頑張ってるアピールされてもイラつかずに華麗にスルーしよう。そう心に決めたあなたは気が合うのでまた読みに来てください。それではおやすみなさい!