むりしない農家(仮)のブログ

無理をしないことに決めた農家(仮)のブログです。

フッ化カルシウム

こんばんは!むりしない農家です。

 

今日は仕事始めに剪定をしてきました。

剪定とは、樹に必要のない枝を切って理想の形に近づける作業です。果樹栽培において最も難しいともいわれる作業ですね。

昨年、実家に帰ってすぐに誰にも聞かずに梅の剪定をし、一回剪定講習会に出ただけで勝手にりんごの剪定をした私にとっては、今回が本当の剪定第一回のようなものです。

とはいえ、今日は本当に大先輩から「これ切って」と言われたものを切るだけのロボ作業だったので、剪定についての詳しい所感はまた改めて、わけが分かってきたころに書きたいと思っています。

 

今回申し上げたいのは、大人になって体が軽くなったなあという話です。

物理的にはきっと重くなっているはずなんですが、心理的な重石が年々軽くなってきてると感じます。

例えば今日の剪定のフィールドだとします。これまで、つまり学生時代の自分なら、剪定を教えてくれる方に対して聞きたいことがあっても、周りの目とか講師の気持ちとかを勝手にネガティブに推測して口を開くことができませんでした。こんな質問したら、いい子ぶりやがってとか進行の邪魔しやがってとか思われるんじゃないかと思っていたんです。

 

でもこの1~2年で、周りがどう思ってようと自分のしたいことは遂行しなきゃ意味ないよなみたいな気持ちが、だんだんと強くなってきました。

「周りからどう思われるか」よりも、「自分のしたいことができてるか」が自分の中で重要視されるようになったんですね。

それはたぶん、周囲は自分に対してそれほど関心がないということを、実感として感じる経験を重ねたからというのもあると思います。どうせ関心持たれてないなら、自分のしたいことしてやれと思ったんでしょうね。

自分に関心のない人に、自分だけが関心を寄せているばかばかしさにようやく気付くことができたということです。

 

心理的な部分だけでなく、持ち物にもこの軽量化志向は現れてきました。

とりあえず財布と携帯と家の鍵さえ持っていればどこにでも行けるだろう、みたいな意識がどんどん強まってきてます。

私はだいぶ忘れ物が多い方で、旅行の荷造りで必ず何か1つは忘れ物をします。

それは裏を返せば、忘れ物をしても大丈夫だろうという、経験に裏打ちされた自信(驕り)があるんですよね。これまでいろんな忘れ物をしてきたけどだいたい大丈夫だったな、という経験のストックが私に余裕を与えています。いいか悪いかはわかりませんが。

だから外出をするときの持ち物は、おそらく同年代の女の子に比べてけっこう少ないし、けっこうすぐに出かける支度ができる自信があります。

 

この傾向にもきっと欠点はありますが、私はわりとこれを気に入ってます。

これから数年私には実績も実力もなくて、頼りになるのは「なんかおもしれー奴」とできるだけ多くの人に思って応援してもらう力だけです。

おもしれー奴はたいがいフットワークが軽いんです。

本来の私はフットワーク激重のド陰キャですが、このフットワークが軽くなったような錯覚をうまく利用してビッグウエーブに乗っていきたいと考えております。

 

古参の方にはわかるかもしれませんが、久々に酒をまあまあ飲んで書いているので支離滅裂になってると思います。そういうところも楽しんでいただければ幸いです。

それではおやすみなさい!