こんばんは!むりしない農家(仮)です。
ひょんなことから、26歳になる年ですがまた社会人一年生みたいなことをやっています。
覚えていない、わからないのがデフォルトという状態は不安でもありますが、失敗してもたいてい大丈夫なのでむしろ安心かもしれないと思うこともあります。
幸い、今の職場は懐が広すぎるくらい広いので、入社2ヶ月目にしてだいぶのびのびとさせてもらってます。剪定歴1年未満なのに「自分で考えて1本切ってみな〜」と預けられることもあります。厳格な果樹農家の方からしたら卒倒するレベルかもしれません。
フリーで考えていい枝をもらうとき、「失敗してもいい」とよく言われます。
ただここで気をつけなきゃいけないのが、失敗してもいいというのはあくまでも他人から「失敗したな」って思われるような結果になってもいいってことです。自分で「失敗してもいいんだ〜」って思いながらやったら意味がなくなるんですよね。
ある種これは受験期の問題演習みたいなもので、本気でやった自分の判断がどう間違ったか検証するための作業なんだと思います。よく考えずに行ったぬるい判断を検証しても、結局なにが間違いだったのかわからないと思うんです。
自分ではこれがこうなって絶対成功するだろうってガチガチに仮説立てて検証しにいかないと検証の意味がない。でも自分が本気で立てた仮説が間違ってたって認めるのはけっこうメンタルにくるものがあります。
メンタルがべこべこになると次回またやろうと思えなくなって、試行回数が減ります。試行が減ったら当然精度は落ちます。精度の落ちた検証から行動を見直そうとしても、正しい軌道修正はできなくなるから迷走しちゃう、という悲しいサイクルをたどるんだと思います。
そこの起点にあるメンタルを救ってくれるために「失敗してもいい」という言葉はあるんじゃないかと思いました。
成功するつもりでやった失敗と、失敗するつもりでやった失敗では得られるものが全然違うんだよなあと思った話でした。
でもやっぱりいけると思っていけなかったダメージはでかいので、それに耐えられるつよいメンタルがほしい。あと根拠のない自信も。
ちょっと早いですがこれからおいしいご飯を食べてきて寝ます!おやすみなさい!