むりしない農家(仮)のブログ

無理をしないことに決めた農家(仮)のブログです。

農家はアイデンティティだった

こんばんは!むりしない農家です。

 

今日は雨だったので畑の作業が少し早く終わりました。

終わった後に、事務所で昔のテレビ番組の映像を見ました。りんごの神様とも呼ばれるレジェンドが、どうやって「ふじ」という品種を世に送り出したかの特集です。私が生まれる前に放送されたものです。

 

その時代の農家というのは、働き方や職業のひとつではなく、「農家である」というアイデンティティの根幹だったんだよなと強く感じました。

今の青森がこれだけ強いりんご産地なのは、これまでりんごに人生を賭してきた多くの諸先輩方がいたからです。りんごに人生を賭したのは、りんごを作るしか生きる道がなかったからです。生きる道というのも比喩ではなく、本当に一家が命を繋ぐための手段がりんごを作って売ることしかなかったという文字通りの意味です。

選びたいとか選びたくないとかの発想がまず存在しなくて、自分が人間であることと同じかもしかするとそれ以上に、自分が農家という生き物であることが当然の事実だった。

りんごがダメなら別の作物にシフトしようとか、別の職業に転職すればいいとかそういう時代には「ふじ」という品種はどうやったって世に出ることはなかったんだなと思いました。

 

私は基本的に、この「農家は農業に人生をささげる」という神話はもう滅びてほしいと願っている派です。でもそんな小賢しいことを言ってのほほんと農家になろうとしていられるのは、何百人という先人たちが人生をささげて作ってきた道があるからです。

そういう姿に憧れる気持ちが、理屈ではなく農業を好きだと思う理由のもとになっているのかもしれません。何もかもを一つのことに賭ける姿はやっぱりどうしてもかっこいいんです。

ただ、そんなかっこいい農家という生き物は絶滅危惧種です。環境の方が変わってしまったからだと思います。嫌な言い方をすれば、淘汰されていくのは仕方のないことなのかもしれません。

 

でも「農家ってかっこいいんだ」と思った気持ちまでなくしたくはないから、今の環境で生き延びられる働き方に変えてまでも、「農家」を残したいと願うんだと思います。

今の時代に合わせないと、とかよく言ってしまいますが、なぜ時代に合わせて変化させても残したいのかという部分をおざなりにしちゃいけないなと思いました。こんなかっこいい生き方をしてた人がいるんだと後世に知らせるために、私は農家になりたいと思ったんだなあ。

自分をかっこいいと思ってもらえるかはまだまだわかりません。でも少なくとも、かっこいい農家がいたことを知って覚えておくこと、その気持ちを忘れないことは今の私にもできるので、絶対忘れないようにします。

 

久しぶりにカッとなって殴り書きしたので、あとから恥ずかしくなって下げるかもしれません。思ってることは本当なんですけど言い方がたぶん恥ずかしい!それではおやすみなさい!